ジョリー×チチカカ


 月も高く上り詰めた静かな夜に、広い海原の上をゆっくりと渡る船があった。
 さほど大きくはない、二本マストの船だった。今はその旗こそ降ろしてはいたが、月光にも映える程艶やかに赤く塗られた船体を見れば、恐れ戦く者も数多くいた。
 時が来れば、船で一番高いマストの上に挙がるのは黒地に白く染め抜いた髑髏の<海賊旗(ジョリー・ロジャー)>。
 それと同じ名の男が船長を勤めるのは、海賊家業だからだ。

――降伏するなら手は出さず、噛み付くならば容赦はしない

 という意味の旗を引っさげて、他人の船や積荷を奪うのが専ら彼らのやり方だった。
 凶暴で荒々しいが、騒ぐのが大好きで、細かいことは気にしないおおらかさも併せ持つ。
 そういう男達が乗り合わせる船の中で、チチカカは船を揺らす波のリズムに合わせて自らの笛を吹いていた。
 故郷であるアンデスの、自分を崇める民たちから捧げられたものの一つだ。
 波の音は規則的で、ゆったりとしていた。チチカカはそのリズムにどう音を合わせるべきかと目を閉じて思案していたが、やがて一つの音を見つけると、あとはするすると音が生まれてゆく。
 音そのものはアンデスの匂いであるのに、海の鼓動が聴こえるような、そんな曲になった。

「――いい音だな」

 集中していた所為で今まで存在に気付かなかったが、いつの間にかドアが開かれていたらしい。
 しかし反応が遅れたからと云って危険があるわけでなし、相手の機嫌を損ねることもないのをチチカカは理解していた。最後の一音に波の音のような余韻を残して、桃珊瑚のふっくらした唇を笛から離した。

「なんだ、いつからそこにいた?」

 云って、チチカカは美しいラインの脚を組み換えつつ問う。細かく砕いた炭を塗ったように黒い肌の脚に付けた幾つもの輪が、しゃらしゃらと音を立てる。
 彼女の視線の先に、男が居た。

がっしりとした体躯は大きく、六フィート(190センチ)程もあるだろうか。胸が大きく開いた水夫服の上から赤と黄の長いコートを羽織っている。
 年の頃は三十半ばに入ろうかと云うあたりの男だった。顎から伸びる長いくるくる髭がやけに茶目っ気がある。
 流石に船内だからだろう、トレードマークのバイキング船を模した帽子は脱いでいた。そのせいで、いつもは帽子の下に隠れている後ろに撫で付けた癖のある黒髪と、同じ色の瞳が良く見えた。
 男の名は、ジョリー。この船と海賊一味を束ねる船長だ。

「さて、な」

 ジョリーはドアの縁にもたれ、腕組みをしたままの姿勢で答える。
 チチカカは笛を自らの纏うポンチョの下に仕舞い込むと、目を細めて自分の組んだ脚に肘を当てる格好で頬杖を付いた。首から提げた貝飾りが揺れる。
 ポンチョの穴が肩幅より大きいせいで、チチカカの鎖骨と豊かな胸がちらと覗く形になってしまう。

「用があるなら入ってきたらどうだ?そんな所からでは話し辛いだろう」

「いや、ここでいい――」

「『ジョリー』」

 頭を振るジョリーに、チチカカの嗜める声が飛んだ。
 と云って、特別厳しく云った訳でもない。だがジョリーは観念したように肩を竦めると、ドアの縁から身を離した。

「では、遠慮なく」

「当たり前だ」

 云いつつ、チチカカの笑みが深くなる。
 チチカカがこう云うのも当然の話と云えばそうなのだ。元々ここは船長室なのであって、ジョリー自身の部屋なのだから。

 ただ単に、チチカカが女性であるから船長室を貸し与えているだけの話なのだ。
 海賊船は元来女を乗せてはならない掟になっている。掟そのものは一味によって細かくその内容を変えるが、どの一味でも不変の掟というものは幾つかある。
 そのうちの一つが、「女を船に乗せてはいけない」と云うものだった。
 基本男所帯の海賊一味の中に女性が紛れ込めば、必ずと云っていいほど争いの種を生む事になる。他にもセイレーンが嫉妬する、と云った迷信的な理由もあるが、一番の理由はそれだ。
 ただし丁重に扱わねばならない人質、などと云ったケースは例外になる。その場合船の中でも一番待遇の良い船長室に通されて、見張り等の保護がつく――のだが、チチカカの場合はそれに輪をかけた例外中の例外だった。
 何せ、空からこの船目掛けて降ってきたのだから。


 船長室の空気を吸うのはかれこれ十日ぶり程になるだろうか。
 もっとも、年中夏の気温の中にある船の空気など大抵どこも変わらないが――と思いつつ、見張りを除いた船員ほぼ全員での雑魚寝を強いられる船倉の空気に比べればまだマシだ、とジョリーはしみじみ思う。
 チチカカは船長室の最奥のベッドに腰掛けていた。それなりに広い部屋ではあるが、ジョリー自身が長身のため大きめのベッドにせざるを得なくなり、幾らか無駄な圧迫感を増す羽目になったのはそれなりに昔の話だ。
 ジョリーは、部屋の中央に置かれた背の低いテーブルを挟む形で置かれた長椅子の片方に腰掛けると、チチカカに向き直った。
 ほんの一瞬、意を決したような表情を浮かべてから、ジョリーはチチカカに告げた。

「お前との<契約>だが…明日終わることになりそうだ」



 チチカカに取り乱した様子は無かった。少なくとも表立った感情の変化はなかったが、ジョリーにはそれがかえってチチカカの奥にある感情を表しているようにも見えた。
 ふむ、とため息にも似た声を出しながら、チチカカが脚を組み直す。

「明日の、いつだ?」

「早くて昼、遅くとも夕方だ。…日の沈むまでには上陸できる」

 そもそもの発端は、十日前にあった。
 一味の船が横切ろうとしていた海域に時化が押し寄せ、ようやっとそれを乗り切った夜明け前に、それは唐突に降って来たのである。
 ぼて、と云う音を立てて甲板に落ちたそれは、大人の頭ほどもある鞠のようだった。
 最初にそれを見つけた乗組員が訝ってジョリーを呼んだとき、丁度夜明けとともに雲が晴れ、日が海原に差し込んだ。
 するとその奇妙な鞠は一瞬にして青い炎に包まれ、なんと宙に浮いた。
 と思うと、青い炎が鞠の下の空間を舐めるように下がってゆく。そこから現れた極彩色の布から生えるのは炭を砕いて塗りつけたように黒い人間の手足で、こうなると鞠が人間の頭部を容易く連想させる形になった。
 そしてそれは正しく頭部だったらしい。黒い腕が俯いた顔を覆うようにして頭部を模した(と、思われる)鞠に触れ、そこからも青い炎が生まれて瞬時に覆い尽くしてしまう。
 やがて炎が治まり、外された黒い腕の下から面が現れた。
 人の顔を極単調に現し、極彩色で塗り分けた仮面だった。周りに等間隔でこれまた鮮やかな色をした羽飾りが付いている。
 呆然と見守るしかないジョリー達の思考を置き去りにして、爪が黄色く塗られた黒い手が、しなやかな動きで仮面を外す。

 女性だった。

 両の手足と同じ、黒い肌をしていた。広めの額が露わになっており、そこから伸びて八方に広がった癖のある髪は正真正銘の金色だった。夜も空け切らぬ中で、朝焼けの光を透かして山吹色に輝いている。
 少し釣りあがった瞳は炎のように赤い。短く太目の眉から、強い意思が見えるようだった。
 恐らくそれだけしか纏っていないのであろう極彩色の布からすらりと伸びる素足が、しっかりと甲板を踏んでいる。
 女性は周りの目などまったくお構いなしに手で大きく自分の髪を梳くと、やれやれとでも云わんばかりの声音でこう云ったのだった。

「――ああ、助かった」

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