釈迦組




アンテナ売りが落ちてきたら
受け止めてあげるよ



大釈迦(ロマンスバージョン)




 そして、夜に静寂が戻る。
 耳に痛いくらいのそれは、紙細工のような容易さで破られた。
「まだ生きてる?」
 その声と一緒に襟首を掴んで持ち上げられたアンテナ売りの喉が絞まって、不機嫌な咳が出た。
「生きてるのね」
 娘はぶっきらぼうに云うと、光の無い目でアンテナ売りの身体を更に持ち上げる。
 脱力したアンテナ売りの身体は、今や不健康な肌を晒した首だけで支えられていた。
 見れば、青い作業服の所々は赤く染まっていた。成金の家の無駄に高い屋根から落ちれば、そうなるのも無理はないが。
「…めて、くれ…」
 搾り出した懇願の掠れ声にも、娘は至って無感情である。
「抵抗すればいいじゃない」
「あち、こち…折れたみたい、なんだ」
「ふうん」
 それは、まるでトラックで正面衝突を起こし、尚且つ甚大な被害を被った加害者に向けるみたいな声だった。
 勿論こちら側は被害者だと云う設定で。
 その態度のまま、娘はアンテナ売りの身体を地面に下ろす。
 それと共に前屈みになってぶら下げていた腕を地面に付き、アンテナ売りの腹の上にぺたんと座り込んだ。
 血の匂いが、ひどく近い距離でしている。

「ねえ」

 娘が云った。月の逆光を浴び、アンテナ売りに覆い被さって長いお下げの色と同じ藍色の目を覗き込んだ。
 その瞳は赤い。
 アンテナ売りは、記憶にある娘の瞳は確か自分と揃いの藍ではなかったか、と思う。思ったが、別段不思議ではないのかもしれない。理由は知らないし解らない。それよりも体の痛みが多すぎて、一体何処が痛んでいるのかもわからなくなってきていた。

「どうして受け止めさせてくれなかったの」

 赤い瞳をした娘が、有無を云わせぬ口調で訊いた。
「あの時云ったじゃない。落ちてきたら受け止めてあげるって云ったし貴方も頷いたじゃない」
 娘の声は冷静さを失い、その目がどんどん見開かれてぎらぎらと輝いてゆく。
 それに反するかのように、アンテナ売りの藍色の目はどんどんその深みを増していくのだった。
 それは正しく感情的な大人と冷静な子供だった。

「…君は、死に、たかった…の…か?」

 冷静な子供は、実に純粋に、最も子供らしく、感情的な大人に切り込んだ。
 娘は目を見開いたまま微動だにしない。呼吸さえ止まっていた。
「じゃなきゃどうして、僕、に…そんな風にする…んだい」
 アンテナ売りの息は荒い。
「そんな事訊いてないわ。それに理由がなきゃやっちゃいけないと云うのは、大人の理屈よ」
 娘が云うと、アンテナ売りが血を吐きながら苦笑して見せた。
「…そう、か…じゃ、あ僕も、子供かな」
「どうして」

「どうしてだか、知らない、けど。君に、死んでほしくな、かった」


 そうしてまたアンテナ売りは湿った咳と一緒に血を吐いた。
 娘は変わらず無表情だった。しかしその奥に何かを押し殺すような色が生まれたのを、果たしてアンテナ売りは見ただろうか。
「…貴方、莫迦よ」
「そう、かな」
「貴方を受け止めた位じゃあたしは死なない。それを勝手に勘違いして」
「はは、じゃあ莫迦だ」

「…そうね。大莫迦よ」

 娘が云って、アンテナ売りの顔に手を伸ばした。
 その瞬間アンテナ売りの視界がぼやけて、ああとうとう目までやられたか、とアンテナ売りは内心で思ったのだが実際はそうではなかった。
 アンテナ売りの今時珍しい位しっかりしたフレームの四角い黒縁眼鏡は、娘の手の中に。
「…何するんだい」
「邪魔なの」
 娘が、ゆっくりとアンテナ売りの血塗れの頬に顔を寄せた。アンテナ売りのぼやけかかった意識に血にも似た花の香りが、そろりと入り込んでくる。
娘の動きに合わせて長い藍の三つ編みがアンテナ売りの頬や首筋をふらふらと行き交う。それはまるで愛撫のようで、アンテナ売りはえも云われぬ感覚に目を細めた。
 それを合図としたのか、娘は鮮血に塗れて月光にてらてら光るアンテナ売りの血の気の引いた唇を自分のそれで塞いだ。
「……」
 痛みと苦しさに喘いで半開きだったアンテナ売りの唇を割って、娘の舌が滑り込んでくる。
 そのまま絡めとられて軽く吸われ、血の味しかしなかったアンテナ売りの口内に微かな甘さが交差する。
 人の肉を果実にしたなら、多分こんな味だ――アンテナ売りは思う。
 世界が呼吸すら止めてしまったかのような静けさの中、冷たい夜に抗う熱さの吐息がどちらからともなく零れた。
 やがて娘がゆっくりと身を起こす。その愛らしい唇にこびりついたアンテナ売りの血を舐め取り、やがて云った。

「貴方って、イイ人だわ」
「そうかい」
 娘が、アンテナ売りが舌足らずな喋りになっているのをくすりと笑う。
「恋してあげてもよかった」
「そうかい」
「そう。好きになってもよかった」
 云いながら、娘はすっかり解けてめちゃくちゃになってしまったアンテナ売りの三つ編みを編み直してゆく。
 編める所まで編みきったところで、娘は手を止めてぽつりと云った。

「…けどね、もう無駄だから」

 その言葉を聞き取れずに居たアンテナ売りが何を云ったか訊き返そうとする前に、娘がアンテナ売りに頬寄せて囁いた。
「して欲しいこと、ある?」
 ひどく官能的で安らかな響きだった。
 娘の瞳はいつのまにか藍に戻っている。夜と同じのようで、まったく違う藍。
 月光が揺れるその瞳を見つめながら、アンテナ売りが震える唇と掠れた声で、云った。

「…寒い、から…。抱きしめてもいい、かい」

「…いいわ」

 娘はアンテナ売りの上体を出来るだけそっと起こすと、辛うじて折れてはいなかったアンテナ売りの左腕を取って自分の背に回してやる。
 娘はぎりぎりになったアンテナ売りの温度をその背で感じながら、静かな水面のような色でこちらを見つめるアンテナ売りにもう一度唇付けた。
 労るように、手向けるように、

 また、愛するように。


 やがて、夜と同じ温度となったアンテナ売りをその身で感じながら、娘が呟いた。

「…恋してあげても、よかったのに」


 鼻の奥につんと来る痛さを感じながら、娘はいつまでも月を見続けていた。

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