懐かしい、と言った硝子を振り返って、なんで、と空は訊いた。穏やかな笑みが、少女の唇に貼り付いている。
「だってこれ、小学校の時に使ったでしょう、遠足とか、海水浴とか」
 手伝いについて来い、と連れ出しはしたが、制服も長い髪も鞄も、濡れ仕事には不向きだった。彼女には懐中電灯を持ってもらっている。
 ばさりばさりと泥を跳ね飛ばさないように気をつけて水を払い、敷き直す。空はタオルで残った滴を拭いた。
「そうだっけ?」
「運動会とか、体育祭とか。うちは一年おきで文化祭と体育祭だから、今年はないけど」
 硝子も最後の作業には参加した。うん、と空は頷く。
「うちは今年もあるけど、さすがに高校じゃ親は来ないよね」
「そう。高校だと使わないもの、だから懐かしくて」
 乾いたシートの上に寝袋を広げ、濡れたタオルを絞ってビニールの袋に入れた。彼が星図や望遠鏡を準備している間、硝子は座っていた。
「あ、これ懐中電灯に付けて」
「これ……セロファン?」
「そう。これで暗くして、目を慣らすんだよ」
 赤のセロファンでライトを覆うと、たちまち視界が暗くなった。そのまま望遠鏡の調整を終えて、彼は硝子の隣に座る。
「今日は何を見るの?」
「今日? そうだね……そろそろ夏の大三角が見えるよ」
「え、もう? 七夕の星よね?」
「ああごめんごめん、ウソウソ。でも本当にはくちょう座は見えてくる頃だよ」
 他愛もない事を喋りながら、空は目が闇に慣れるのを待った。減光されたライトの光でも周囲が見えるようになってから、
「消すよ」
 声をかけて、明かりを消した。
 途端に真の闇が鼻先まで迫ってくる。頬の辺りにまで何か質量を持ったものが覆い被さるような錯覚。
 虫の声、大気の流れ、葉ずれの音、遠くの車の音、様々な音が、耳元に忍び寄っていた。
「空くん、いつもこんなに暗くして見てるの?」
 呆れを滲ませた小さい声が、文句を言う。空は天を仰いだ。一等星は見えても三等星はまだ見えない。
「暗くないと見えないからね」
「危なくないの?」
「女子はそうかもしれないけど、男子だから」
 そう、と笑っていた声の温度が、ふと、
「……空くん」
 ――下がった。
 沈鬱な、氷を思わせる声音。
 来たな、と腹を括って、
「ん?」
 空は何でもないような声を出した。
 暗いと、顔が見えない。自然、心の奥底に隠した言葉が、口をついて出てくるものだ。
 多分先程聞けなかった真相を話してくれるだろう、と思ったからここに連れて来たのだ。聞く覚悟も疾うにできていた。
「さっき、嘘ついた」
「え……?」
 ほんとはね、と。
 闇に溶ける声に、空は隣に座る相手を見た。
 横顔を垂れた前髪が覆って、表情はまるで窺い知れない。辛うじて鼻から下が見える程度だ。
 そうしてその唇は色が変わるほどきつく結ばれ、顎はわなわなと歯の根が合わない。今にも泣き出す寸前の表情だ。
 訝って空が肩に手を置くのと、悲鳴のような声が噤んでいた口から奔流となって溢れるのとは、同時だった。

「――彼、もう他の子と付き合ってた」
 空は軽く目を見開く。 
「それ……」
「言ってくれなかったの。本当はずっと着信拒否されてた。彼、わたしには何も言わないで、別の子と腕組んでキスして、凄く楽しそうに笑って、ホテルに入ってた」
 見ちゃったの。彼が一人でいたから、声をかけようと思って、付いて行ったら。
「……」
 空は口を開き、そして閉じた。間違いではないのか、という問いは口に出す前から消えた。疑いなど差し挟んではいられない。
 硝子は必死に言葉を紡ぐ。声は、もはや裏返って常態をとどめていなかった。
 何が悪かったの、と、前髪の下から雫が落ちる。空はただ、見守るしかできない。
「わたし、ちゃんと彼の前で笑ってるつもりだった。好きになってもらおう、早く本当の彼女になろうって頑張ってた。何がいけなかったのか、ぜんぜん……」
「硝」
 幼馴染は歯を食い縛って、声を出さずに泣く。ハンカチを出して、落ち着くまで彼はその頬を拭ってやる。
 その段になってやっと、少年は硝子の瞳を覆う濁りの正体を悟った。
 疑惑や心配などではなかったのだ。もうとっくにそんな段階は通り越していた。――それは悲しみであり、苦しみであり、戸惑いだった。
 どうしたいの、と彼は努めて穏やかに訊ねる。殴りたい、と聞いても、首を振るばかりだった。
「――硝はまだ、好き?」
 分からない、と憔悴しきった様子の答えが、一拍置いて返ってきた。
「まだ、好きでいていいのかな」
「嫌いになりたい?」
「ううん……」
 気怠げな動きに髪が振れた。分からない、と同じ答え。
「前にもこんな事したの」
「濡れはしなかったけど。――ねえ、空くん」
 疑うのって、辛いね。
「多分嘘でもいい、彼がすぐに大丈夫だよ、って言ってたら、きっとこんなに苦しくなかった……」
「うん」
「それで騙されても、わたし、良かったの、」
「うん……」
「わたし、……まだ、整理しきれない……っ」
 真っ向から見た瞳から、再び涙が溢れ始める。
 呼ぶまでもなく硝子は空に抱きついてきた。その背を撫でて、嗚咽が止むのを彼は待つ。
 柔らかく温かい背はやはり記憶にあるよりも細く薄くて、何故だか少し、切なかった。

 
「空、くん……お願いが、あるの」
「うん?」
 ひとしきり泣いて平静さを取り戻した硝子は、空の肩を押しやってきた。一度体を離して体勢を整え、真っ向から彼の目を見つめる。
 その視線の意味を量りかねて、空はただ相手を見つめ返した。
 悲しみや、怒りや、恨みや、昼間見た濁りとは別のものが、その瞳には宿っている。もっと切実で、危険な何かが。

「抱いて。わたしのこと」
「硝!」
 空は声を上げた。
 言われた事があまりにあまりで、頭が付いていかない。
 自分が? 硝子を? 本当に?
 嘘ではないのかと願いながら、空は少女の肩を掴み、その目を覗き込んだ。
 その縁はまだ濡れていたが、眼は既に乾いていた。代わりに何か決然としたものが、真円に湛えられて底光りしている。
 存外しっかりした様子の彼女に、彼は先程出した大声を恥じるように囁く。
「冗談でも、言っちゃいけない」
 自分を大切にしろと続けようとして、そうして、呆けた。
「――冗談なんかじゃ、ない」
 しっかりと力を込めていたはずの手を肩から払い落として、硝子が言い放ったからだった。苛烈といっていい程に。
「もう疲れたの。好きでいる事にも、嫌いになる事にも。今だけでいいから、忘れさせて。お願い」
 一体どこに、こんなにも強い感情が隠れていたのだろう、と半ばうろたえながら空は思う。
 ――いや、違うのか。
 きっとずっと澱み、押し潰されていたからこそ、こんなにも激しいのだ。その証に、彼女の両眼は今日で一番輝いていた。
「だからって、僕に頼んでいいってわけにはならないよ」
「わかってる」
 溜め息に紛らせて言うと、少女はつと目を伏せた。
「空くんがわたしをそういう風に見ないって事は、分かってる。……それでもいいの。あなたが好きな人の代わりで」
「硝」
「わたしのこと、好きにしていいから。ぐちゃぐちゃにしていいから、だから」
「――ゴムがない」
「持ってる」
「――なんでそんな事、言うんだよ……」
 そうやって、誘うような言葉を言わないで欲しかった。持っているから大丈夫などと。自分から彼女を軽蔑してしまいそうで。
 自分は硝子の事を、嫌いたくないのに。
「嫌いになってくれて、いいから」
 顔を俯けていると白い手が伸びて空の手を握った。小さく震えて、冷たい。
 思わず顔を上げて、彼は硝子の顔を見つめた。泣き出す寸前のような表情だった。
「――卑怯だよ、硝は」
 声がぶれた。裏返ったかもしれないが、よく分からない。
 そんな顔をされたらもう何も言えなくて、空は苦し紛れに相手を罵った。ふざけてるよ、と続けて、その場に沈黙が下りた。
 多分硝子自身が一番分かっている。今頼んだ事がただの逃避にしかならず、何の解決法にもならず、おそらく硝子に傷を残すだけなのかも知れないという事は。
 だが言われるままに空が硝子を抱いたなら、きっと彼女は後悔する。自虐的な彼女は、それを自身を痛めつける糧にするのだろう。
「バイブ役なら他の奴だって、いいはずだ」
(でも、)
 ここで断ったとしたら、今度は自分が後悔するだろうと、空は思う。
 もし彼女が空を選ばず他の誰かとそうなったなら、それなりにショックだったろうとは、何より空自身が一番よく分かっている。
 これが新しい恋だとか、幸せになれるのならまだいい。だが逃避が目的の、明らかに後ろ向きなその行為に、顔も名前も未知の第三者が関わるなんて考えたくもない。
 それが少女の更なる不幸に繋がってしまったら、きっと自分は悔やむだろうと、はっきりと彼は自覚していた。
「わかってる……」
 それでも、と目を伏せられたら、もう、何も言えない。自分は彼の代わりにされるだろう。だけれど、彼女の悲しさが分からないでもないから、断れない。
「――硝」
 最後通牒のつもりで、空は精一杯平静に、幼馴染を呼んだ。
「優しくできないかもしれない。僕は、硝の彼氏じゃない。それでも――」
「――それでも」
 真剣な目が、後押しをする。
「分かった」
 おそるおそる腕を回して、抱きしめる。たったそれだけの動作なのに、嘘のように、ひどく勇気が要った。

 赤いセロファンで減光した懐中電灯を点ける。驚いてか最初は硝子も肩を震わせたが、それが直接自分を照らす事はなく、また随分暗くなっているのを見ると大人しくなった。
 ブラウスのボタンを外し、水気を含んで貼りついた袖を抜くのは苦労した。少女の協力でやっと剥けたほどで、畳むのもおざなりに放り出す。
 ふと、相手の肩がかすかに震えているのを認めて、空は問う。
「寒い?」
 硝子はゆるゆると首を振る。ぎこちなく笑ってみせた。
「そんなには。――寝袋使うなんて、知らなかった」
「夜中起きてるからね。一晩外だし……」
 ほら、と腹のポケットに入れていたカイロを取り出して、戯れに頬に当てれば、あったかい、と相手は小さくどこかうつろに笑う。
 その隙を縫うように、空は顔を近づける。笑顔の消えない唇にちょん、と口付けた。
「――!」
 一度唇だけで軽く挟んで、すぐに離れた。判子でも押すような、稚拙な軽いキスだった。シャンプーの匂いと甘い吐息とが、遅れて鼻を打つ。
 だが見つめた相手は愕然と頬を強張らせた。しばらく呆け、それからはっと目を伏せる。
「な、に……」
 しどろもどろな声が、普段は穏やかな彼の癇に障った。
 軽い気持ちだった。緊張が解れないかと思ってした事だ。だけれど彼女は、忘れたいと言いながら、まだ、迷っている。
 空は半眼に相手を見た。そうすると元からあまり大きくない目が細くなって、より自分の顔が意地悪く見えると知っていた。
「何したって、いいんだろ」
 嗜虐心が湧いてもう一度、と鼻面を寄せる。横を向こうとする頬を両手で押さえると観念したのか、幼馴染は眉間に皺が寄るほどきつく目をつぶった。
 当然引き結ばれ、硬くなってしまった唇をなだめるように舐める。厚みがなく、乾いて、あまり触れたという感じがしなかった。
 最後にちゅっと吸う音を残して、彼は短いキスを終わらせた。
「……ごめんなさい」
 自分で脱ぐから、と下着を脱ぎながら硝子が呟く。
「まだ、好き?」
 問いの形で彼は確認する。そうしながらパーカーを脱いで、硝子が痛くないよう、彼女を寝かせる寝袋の上に敷く。
 少し、後悔していた。
 無理矢理に諦めさせられる形になった恋だ。どうしたって未練はつきまとう。
「……うん」
 だから、忘れさせて。
 相手は殉ずる覚悟でも決めたような顔で、ブラとスカートを抜いて畳み、ブラウスの上に置く。薄い下着の上下だけ身に着けて、両手で胸を隠しながら、こわごわと仰臥した。
 入れ替わりに覆い被さる。声を出さずに一度頷いて、空は首筋に鼻を近づけた。
 乾いた唇で静かに、肌をなぞる。
 寒くないと言ったのは気を遣ったからだと、知った。
「ん……」
 初めは首に。耳に。頸動脈を皮膚の上からなぞるように首筋を鎖骨へと辿り、真ん中の窪みから、均等に、左右へ。肩の丸みを掌でさすり、邪魔な髪を指で左右に流す。
 カイロで温まった自分の体温を移すように血管の近いところを撫でて回ると、くすぐったげに硝子は身を捩った。表情も変わる。眉根をきつく寄せて目を閉じていたのが、眠りの中にいる時のように、ふんわりと優しいものになる。
 緊張が解けてきたのを見計らって、彼は耳たぶを食んだ。続けざまに首を撫ぜれば、ぞくぞくと鳥肌が立つのを腕の下で感じた。
 痕をつけないキスをあちこちに送り、噛めば、だんだん体が熱くなってくる。シャンプーの匂いに汗の匂いが混ざり始める。
「ぅあ……」
 組んでいた腕を解かせ、キャミソールの上から乳房にそっと触れると、控えめな声が上がった。どう反応すればいいのか、迷っているようだった。
 構わずに、軽く、優しく、短い接触を繰り返す。続けているとその緊張もやがて消えてなくなった。腕の内側の柔い所を噛み、下着の中に手を滑り込ませ、腹をくすぐり、ついに乳房に直に触れた。
「っん、っ」
 鼻先で布地を頂点に押し付ければ、しこってくる。同時に片胸全体を手のひらでくるみ、五指で囲む。緩く揉めばだんだん、掌に感じる温度が上がってきた。
(――うわ……)

 夜目が利くので、空は相手の体について大体のところを見て取ることが出来た。
 硝子は昔からほっそりした体型で、それは今でも変わらない。背は高いが肩幅は狭く、痩せて、起伏に乏しいため、あまり威圧感を覚えず逆に守ってやりたくなるようなところがあった。
 病的に白い肌は磁器のように滑らかで薄い。乳房も腰も丸いが、女を感じるほど張っておらず、硬かった。実際手で掬っても重いとは感じない。どころか外した時に掴んだ腕もキスの時に支えた頭も、何もかも軽く、儚い。
 それで労わるための行為だから、何だか壊れ物でも扱っている気分になって、空は相手が視線を感じて怯えだす前に愛撫に戻る。
(――大丈夫かな)
 空はこれが初体験だった。つくづくおかしな形で迎えることになってしまったと自分でも思う。
 だが突然の僥倖に喜ぶより緊張するよりむしろ、どれだけ幼馴染を感じさせられるかという事が、今の彼には重要だった。
 どこをどう触れば快感を呼び起こせるのか、まるで分からない。
 ただ痛がる事だけは無いように、少しでも嫌がるようなら止められるように、様子を見ていくしかなかった。
「あ、は……」
 布の上からかぶりつく。掌全体で撫で回す。動きにはみ出た、多分淡い色をしているだろう乳首を指の腹で擦り、舌でつつく。一度耳を胸に当てれば、とっとっと、柔らかなリズムが聞こえてくる。
 その速さに静かな興奮を垣間見るようで、空はなんだかどきどきした。伝染ったのかな、と心中で苦笑した。
「や、もっと……ひどく、して」
 腿と瞼を硬く閉じながら、荒くなり始めた息の下で震える声がねだる。
 酷くしろと硝子は言ったけれど、その期待には応えられそうにない。比べるべき普通の経験とやらが空にはないし、彼女はそんな乱暴に耐えられそうになかった。
 触れただけで直下の骨の感触がありありと分かる。軽く掴んだだけで肌に痕が残る。沈む柔らかさも余剰もない、そんな体を痛めつけられるわけがない。
「あうっ!」
 だからただ一度だけ、要望通りに乳房の頂点を歯で噛んだ。充血し熱をもった所をすぐさま擦り込むように唇で強く挟み、舌でこりこりと回せばびくびくと震えた。
 その後はただ大人しくそっと触れて回った。再び脇腹を辿り、へそをくすぐり、腰骨をさすり、内腿を撫でる。
 指先が下着の脇を掠めると、ぴくり、と体が痙攣した。
「脱がすよ。それとも脱ぎたい?」
「待って、自分で――」
「分かった」
 一度体を離すと、硝子は腰を浮かす。背と肩で体重を支えてショーツをくるくると下げ、体育座りのように曲げた膝を越した所でぐいと引き抜く。
 出来るだけ遠くに押しやりながら、少女は膝を元に戻しかけて、思い直したようだった。伸ばすのではなく六十度に曲げたまま、拳一つ分の僅かな隙間を空けて、開く。
「さわ、って」
 わななく声が言い終える前に、彼はその膝を割った。初めはかかった僅かな抵抗が、すぐに消える。
 難なく相手の両脚の間に潜って、空はタオルを手に取った。位置が低すぎた。
「もう一度、腰、浮かせて」
 硝子が従い、空間ができるとそこにタオルを丸めて詰める。高さができて、より見やすくなる。頼りない腿が戦慄き、鳥肌が立った。
 だが少女は抗わない。止めて、と制止する事も、足を閉じることもしなかった。
「――」
 空は生まれて初めて、女性のそこを見た。あまり良く見えなかったが頬に感じる相手の体温と見ているのだという事実の方に、頬がかっと熱くなった。
 青く静脈の浮いた、仄白く輝くような二本の脚。その間に僅かに暗く色素の沈んだ箇所がある。胸や腕の他の部分もそうだったが、こちらは格段に弱そうだ。
 腿を撫でさすり、徐々に内腿へ、その先へと触れていく。隠されたそこに指が至った。ほんの少し突付いただけで容易く形を変える。
 ――柔らかい。
 息を呑む音を聞きながら、彼は静かに、慎重に形を探る。自分のを触るよりもずっと優しく軽くしないと、今にも壊れそうだった。
 力を抜いてそろそろと検分する。
 花だとかによく喩えられるけれど、唐突に始まり唐突に終わる、血の色をしたそこは、むしろ傷のようだと空は思った。それもたった今作ってしまった、切り傷のようだ。
 ふと自分自身に窮屈なものを感じて、彼は苦笑した。
 反対しておいて、いざとなると興奮するなんて、虫が良すぎる。幼馴染が相手でさえ欲情するのかと思うと、滑稽でもあった。
 ――こんなものが果たして本当に、慰めになるのだろうか。

 空は自分の指を舐った。からからに乾いている口の中から意識して唾を出し、指に絡める。
 そうしてから同じように湿り気のない入り口の周囲をしばしなぞって、潤いが滲みだすのを誘う。浅く軽く、ゆっくりと指を往復させる。
 濡れた接触が創に似た見た目のそこへ、涙をもたらすのはすぐだった。
 零れ出した雫を塗り込むように指を往復させると、長く押し殺した呼気の音がした。
 試しに泥濘み始めた泉に指先で力を掛ければ、僅かに沈む。肌の外側と同じ温度の中は意外と乾いていた。
「……――」
 音がした。
 悲鳴めいた囁きが、空を引き戻す。意味のない音の連なりではなく、明らかに何かの名前だった。
 何だろうと訝るより先にそれが男の名前だと、直感的に分かった。
 空は目の前がすうっと暗くなるのを感じた。体に溜まり始めた熱が引いていく。
(――代わりに、されてる)
 唾を飲み込もうとしたが、何も喉を通らない。まじまじと見つめる視線の先で、硝子はただ目を瞑って耐えている。
 良く知ったはずの硝子の事がまるで分からなくなる。忘れたいはずではなかったのか。 
(なんで)
 今、その男の名前を呼ぶのか。
 何より分からないのは自分自身の心だ。捨てた男の代わりにされるのは承知の上で応じて、さっきのキスの時も、仕方ないと納得したはずではなかったか。
(どうして……)
 こんなに胸がざわめくのか、まるで、分からない。
 彼女の顔を見ていられなくて、内から発光するような白さの膝に目を落とす。潜らせた指は一本きり、第三関節で止まっている。内側の筋肉が侵入を許さないのだ。
 ほんの二、三センチだけの、許容。
(――そうか)
 自分は気に食わないのだ。すっかり全てを忘れたいと願うのではなく、今の一時だけ忘れたいと願った、彼女のいじましさが。
 硝子の胸を占めているのは未練だ。それ以外の何物でもないから、今も彼氏の名前を呼んで縋り付いている。
 それで前に進めるわけがない。そうやって足踏みして留まっていては、澱み続け自分を損なって、最後には何もなくなってしまう。
 彼女にそうなって欲しくはなかった。
「――硝、目を開けて」
 空は一度少女の頬を撫でる。ぴくり、と瞼が痙攣したが、相手は目を開けなかった。
「硝子。開けて。でないと止める」
 愛撫の手を止めて、そこでやっと、不安げな瞳が瞼の下から現れる。左目を隠している重い前髪をかき上げて、空はその目を覗き込んだ。
 間近で囁く。
「ちゃんと見てて。目、つぶったらそこで止めるから」
「ヤだ……なんで、……っ?」
 涙目で見上げられたが彼は答えず、指を埋めた。違和感に、腕の下で体が軽く反る。逃げを打つ腰を掴んで、遅い速度で進入させる。
 それでも言いつけを忘れずに、硝子は精一杯目を開けていた。恥ずかしくてどこを見ればいいのか分からないようで、視線が泳いでいた。
「あ、あ、やあ……」
 指の腹に感じるのは暖かくも乾いて粘った、狭い肉の壁だ。阻むような蠕動を読みつつ、優しく、静かに、根元までを進める。

「つらい?」
 完全に全部が埋まってしばらくしてから、空は声をかけた。呆然としていた相手は我に返った。
「あっ、う、ううん。平気」
「動かすよ。つらいようなら言って」
 ぐるり、と一回転させて抉る。
「んっ、ク……!」
 喉が嗚咽を飲み込むように震えた。硝子が目をぎゅっと閉じかけたが、次の瞬間には思い直したのか、逆に真ん丸く見開く。
 一連の動きで零れた涙を舐め取って、空は指を動かし続けた。
 硝子は僅かな刺激にも腿を強張らせた。拳を作って、声を出さないように、目を閉じないようにと努めていた。
 時折その忍耐を突き崩そうと、増やした指をてんでに躍らせ、あるいは隠れた芽を柔く押しても、頑なに沈黙を守っていた。
 もっとも、声を聞かなくても、薄い体を内から炙る炎の効果は、指に感じる液の多さで明らかだったのだけれど。
(ちゃんと、見て)
 空は指を抜いた。
 硝子の抱かれている相手は失恋した恋人などではないのだ。この自分だと彼女がはっきり分からなくては、逃避の意味がなくなってしまう。
「あ、ハ、ひゃあッ!」
 肩に足を担ぎ上げて、意外に慎ましく閉じた入り口に口付ける。前々から膝、腿、内腿と小さく撫でて慣らしていたから、膝にはまるで力が入っておらず、易々とされるがままになった。
 剥いて現れた芽を吸い、襞を舐め上げ溶かして、唇へにはできなかった侵入を果たすと大きく体が震えた。高く悲鳴が夜空に消える。
「や、きたない……!」
「慣れないと痛いよ」
 お互い風呂に入っていない。だから汚い、と向こうの暴れる訳は分かっていたが、不思議と気にはならなかった。匂いがあまりないのも手伝って、舐める事に抵抗はない。
 しなくてはならない、という義務感からではなかった。哀れみでもない。
 ――自分が単にしたいから、しているのだと気付く。
 ああ興奮しているんだな、と痛いほど熱を持った自身を感じて、どこか他人事のように空は思う。
 抉じ開けた先からとぷり、と透明なものが零れてくる。
 儚い外見の硝子でもそれは生々しかった。塩と酸の味がした。恥毛も確かに存在していて、さりさりと鼻に当たる。
 空はそれに幻滅よりも、むしろ憐憫を覚えた。先程戯れに乳房に耳を当て、拍動を聞いた時よりも少女の生が身に迫って感じられて、胸が痛む。
 確かに硝子はここにいて、生きて、彼女の胸に巣食う苦しい恋もまた、存在しているのだ。
「は、ああっ、ぅ」
 彼は鼻を腫れた芽に押し付けるようにして舌を動かす。指も一緒に差し入れる。振り上げていた足から途端に力が抜けた。
「うぁっ、やだ、いやっ、あ、あっ、……」
 切ない声と共に太腿が締まり、彼の顔を挟む。ますますとろとろと流れてくるものが、空の顎を濡らす。担いだ足の先が薄いナイロンの下で、きゅうっと丸まるのを背の皮膚で感じた。
 がくがくと断続的に震える腿に指を食い込ませながら、空は動きを早めた。
「あッ、や、へん……とんじゃう、ヤ、んあ、あああッ」
 びくん! と硝子は全身を大きく震わせて、いきなり顔の両横からの圧迫が解けた。同時に小さな決壊が起きてどっと生温い液が溢れ出し、空の口元にも流れ込んできた。飲み下す。
 見下ろした相手は筋肉の全てを弛緩しきらせ、熱い息を短い間隔で吐いている。頬には澄んだ雫が伝っていた。

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