「フロウちゃん?」
「え!? あ、はいー?」
メルの呼び声に、フロウフロウは我に返った。
「どーかした? なんかぼうっとしてたよ」
「え、そうでしたか」
夕食を終えたメルといつものおしゃべりに興じている、そう思っていたフロウフロウはメルの言葉に僅かな焦りを覚えた。
最近、ふとしたことで思考の殻に閉じこもってしまうことが増えている気がする。
「うーん」
メルはベッドの上で腕を組む。
何事もなかったかのように自分を見つめてくるフロウフロウに、小さくため息をついた。
「やっぱり、フロウちゃん最近おかしいよ」
「え……」
フロウフロウは戸惑った。
自分の感情、それがメルに知られることはあってはならない。
けれどそんな事を考える余り、フロウフロウの態度に変化が生まれていることはやはり誤魔化せないらしい。
その態度がメルを不快な気分にさせてしまっただろうかと、不安になる。

しかし、メルの口から出た言葉は、似ているようで全く正反対のものだった。

「フロウちゃん、ボクといるの、疲れる?」

「…………え?」

思いもかけないメルの言葉に、フロウフロウは目を丸くした。
「フロウちゃん、ずっとここで独りだったっていうし…ボクみたいなのが一緒にいたら、うるさいのかな…って」
「そんな…そんなことないです!」
「ふえ…っ?」
余りの大声にメルが驚いたことにも気づかず、フロウフロウは続けた。
「違うんです、わたしはメルさんと一緒で楽しいです! ただ…」
「え、あ…えっと…ただ?」
「え?」
急な事に我を忘れていたフロウフロウは、またそこで我に返った。
「あーと…えっとね、フロウちゃんがボクと一緒にいても疲れないって言ってくれたんだけど…なんだかフロウちゃん他にあるみたいだったから…」
「……」
思わぬ事態に本心が出かけたらしい。
しかしそれを…その感情を伝えるわけにはいかない。
「いえ…何でもないんです、ほんとうです」
「そっか…」
誤魔化しにも何にもなっていない。
けれどメルはそれ以上は聞いてこなかった。
フロウフロウは俯き、両手を胸の前で組んだ。
その姿はまるで神に許しを請う者の姿であったが、右手に蘇る温かな感触にフロウフロウは罪悪感で押し潰されそうになった。
「…あのね、フロウちゃん」
「はい」
「ボク、明日はお休みなんだ。夏休みはまだ先なんだけど」
「……はい」
「ボクは、一日中ゆっくりフロウちゃんと過ごしたい」
「……」
「いい、かな?」
「…………はい」
間は空いてしまったけれど、それでも心の底からこみ上げて来た喜びに微笑んで、フロウフロウは頷いた。
まだ少し不安の表情を残していたメルも、それを見て嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ボク今日はもう寝るね。明日朝からフロウちゃんとおしゃべり出来るように!」
「はい、楽しみにしてますー」
いつもの調子に戻ったメルに、フロウフロウは安堵する。

このままの関係で在れれば良いと、その時は真にそう思えた。

「メルさんは、優しいです」
聞く者のない呟きを、フロウフロウは零した。
明かりの落とされた部屋の中、目を閉じてメルの安らかな寝息に耳を澄ます。
「甘えちゃ、いけないんです…」
触れたいといえば触れさせてくれるかもしれない。
それがどんな形であれ、メルは許してくれるかもしれない。
けれど、万が一嫌悪感を抱かれてしまったら?
「…わたし、がまんしますから…だから」

毎夜毎夜、その願望を抑えようとして止められない。
ほんの少し、眠るメルの背に触れること。
指先に触れた温もりを抱いて眠ること。

「……ほんの少しだけですから、これだけは許してください…」

抑えきれない自分を責める事は償いにもならない。
けれどその小さな衝動だけで、他の願望を抑えられるなら。

「ごめんなさい、メルさん」

そして今日も手を伸ばす。
否、はっきりと意識して触れようと手を伸ばすのはこれが初めてかもしれない。
その事実に心の中でため息をつきながら、フロウフロウはそこでいつもとの違いに気づいた。
「……」
いつもいつも触れる場所はメルの背、肩に近い所。
それはいつもメルが背を向けて横になっているからで、ほんの少し触れるだけならばその方が気づかれにくいだろうし、都合がよかった。
けれど、今日は違っていた。
「どう、しましょう?」
メルはフロウフロウのほうを向いて眠っていた。
すうすうと眠るメルの寝顔がぼんやりと見える。
見てはダメだと思う間もなくその寝顔に見入ってしまっていた。
「……」
指が動き、その先に何かが触れる感覚が伝えられる。
「あ……」
背や肩よりも柔らかく温かい、頬に触れた感覚が。

「う…ん」
「あっ…!」
メルが零した吐息に、慌てて手を引き戻そうとする。
しかし"それ"は、唐突に掴まれ動きを止められた。
「え…ど、どうしましょう…」
"それ"を通じてフロウフロウの手を掴んだのは当然メルの手。
目を覚ましたわけではない、眠ったままの行動だ。
しかしメルは何の夢を見ているのか、
「え…っ」
そのまま手を胸に抱くように運んでいってしまった。
「……」
温かい、とフロウフロウは思った。
掴んできたメルの手も、抱かれた先の胸も、温かく柔らかい。
突然のことに、フロウフロウは揺らぐ意識をうまく止められない。
「め、メルさ…」
しかしそのままでいるわけにはいかない。
目を覚ます前に、引き剥がさなければならない。
そう言い聞かせて意識をはっきりとさせ、フロウフロウは意を決して左手も伸ばした。
「ごめんなさい、ごめんなさいメルさん…!」

やはりこの願望すらも押し留めなければならない、もうこれで最後にしなければならない。
どうしてあの時、嘘でもいいから"疲れる"と答えなかったのだろう。
そうすればメルを傷つけてしまうけど、それ以上傷つけることはきっとなかった。
自分も抑えの利かない願望を持て余すこともない。

「ごめんなさい、わたし、全部がまんしますから…!」

そう呟きながら、左手に"繋がる"コードでメルに抱かれた右手を引き離そうとした時、

「………何を、我慢する…の?」
「……!」

ぼんやりとした声が、はっきりとフロウフロウの耳に届いた。

「メルさん…?」
「…ん…と。フロウちゃん…?」
胸に抱いた腕はそのまま、メルは顔だけを上げて薄目を開く。
「おはよ…?」
「おはようございます…じゃないです! まだ夜です、起きるには早いですよ…」
そのままもう一度眠ってくれたら良い。
そう願いながらフロウフロウは言った。
「…あ、まだ夜なんだ…けど、フロウちゃん、何を我慢するの…?」
言っている言葉を理解しているのだろうか。
メルはぼんやりとした表情のままそう言った。
「わたしは何もがまんしてません…大丈夫です、大丈夫ですから…」
「……うそだ。フロウちゃんなんだか凄く苦しそう」
「そんなこと…」
ない、と続けるよりも早く、
「……あれ?」
メルが自分が何かを掴んでいる事に気づいた。
「……!」
慌ててフロウフロウはそれを引っ込めようとする、が。
「……フロウちゃん?」
空いていたほうの手で、メルがそれを撫でた。
「…っ、メルさん…ごめんなさい、離して、ください…」
余りの温もりに、零れない筈の涙が零れそうになった。
懇願は、それが自分自身に繋がっている物だと言う事を教えてしまう結果になる。
それでも、そうでも言わなければメルはそれを離してくれそうにない気がした。
「……これは、フロウちゃんなの?」
「はい…」
しかしメルはそれを離そうとはせず、

フロウフロウを投影する機械から伸びたコードを、ぼんやりと見つめていた。

「…メルさん。余り見ないでください」
「どうして?」
「わたしは人じゃなくて、機械なんです」
「うん、それで?」
「わたしは、そんな形でしかメルさんに触れられない自分がいや…なんです」
「……」

ぐい、とコードが引っ張られた。
その感覚に、フロウフロウは目を丸くした。
「ボクは…」
少しずつはっきりとしてくる意識。
コードを胸に抱いたまま、メルはベッドの上で身を起こした。
「ちょっとびっくりしたけど、嬉しいよ?」
「え……」
「だって…これはフロウちゃんなんでしょ? ボクは今、フロウちゃんに触れてるんだよね?」
自分がよく知るコード…例えばコンセントのコードだとかそういったものとは違う、表現の仕方がわからない不思議な質感のそれ。
それ自体は決して温もりを備えているわけではないし、当然人の腕の形もしていない。
ただ、それでも。
「ボクは今、フロウちゃんと手を繋いでる。…そういうこと、だよね?」
「………え…っと」
その光景は、決してそうは見えない。
それでもメルがそういってくれたことが嬉しく、

「でも、わたしは、機械なんです…!」

急に溢れ出しそうになる想いに、フロウフロウは叫ぶ様に言い放った。

「フロウちゃん…?」
手を繋いでいるといってくれた。
その異様な光景も、嫌悪しないでくれた。
だからといって、それ以上が許されるわけではなくて。
だからその優しさに甘えるわけにはいかなくて。

「…フロウちゃん、ボク、わかんないよ」
悲しそうな声が聞こえた。
フロウフロウははっとして、顔を上げる。
すぐ前に戸惑った目をしたメルの顔があった。
「フロウちゃんは、ボクのこと嫌いなのかな」
「…きらいじゃ…な…」
言葉がうまく出てこなかった。
「ボクはね」
胸に抱いたままのコードを撫でて、メルは目を閉じた。
「フロウちゃん、最近ずっとなんかおかしいなって思ってて…ボクのせいかなってずっと思ってた」
フロウフロウは見えていないとわかっていながら、ふるふると首を振る。
「けどフロウちゃん優しいから、ボクに気を使ってくれてるのかなって」
「わたしは、やさしくなんてないです…」
「そんなことないよ。ボクはボクとおしゃべりしてくれるフロウちゃんを優しいと思うもん」
とくん、と胸が鳴った気がした。
「だからボクのことが嫌いじゃないなら、どうしてそんなに辛そうな顔をするのかな、って」
「つらそう、ですか…?」
「辛そうだよ。ボクはフロウちゃんの笑った顔を見てたい。どこか具合が悪いのなら神様にお願いする。何か悩み事があるのなら聞いてあげたい。だってボクは」
それ以上は聞いてはいけない気がした。
けど、硬直した体は耳を塞いでくれない。
元より塞いだところできっと聞こえてしまう。
自分の耳はいつだってヘッドホンで覆われている筈なのに、聞こえにくくなるものなんて殆どないのだから。

「ボクは、フロウちゃんのこと大好きなんだから」

違う。
自分の抱いているそれとは違う。
わかっているのに、フロウフロウの心に漣が立つ。

「わたし、は」
「うん、フロウちゃんは?」
抱えていたことを話してくれるように聞こえたのだろうか。
メルは閉じていた目を開いてフロウフロウを見つめてきた。

「わたしは、メルさんのことが…」

きっと、メルが抱いているそれとは違うけれど。

「…好き、なんですよ?」

もう、留めておくことはできそうになかった。



「うん…?」
微妙なニュアンスを汲み取ったのか、メルは小さく首を傾げた。
「わたしは…メルさんのことが好きなんです、けど、それはいけないことなんです」
もうここまできたら後戻りはできないのかもしれない、フロウフロウは決心を固めた。
訪れるだろう"別れ"も覚悟して。
「どうして、いけないことなの? だってボクだって」
「ちがうんです…メルさんの"好き"とわたしの"好き"は、ちがうんです」
「よくわかんないよ…」
「…たぶんその方がいいんです。…わたしはメルさんに嫌われたくないです」
「ボクはフロウちゃんのこと嫌ったりなんてしないよ?」
「……メルさん」

傷つけることを覚悟で。
それ以上を防ぐために。
フロウフロウは意を決してそれを口にした。

「この家から出てください」

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