フロウフロウ×メル


その日も、二人は笑って挨拶を交わす。
晴天に負けないくらいの明るい笑顔で。

「メルさん、おはようございますー」
「おっはようフロウちゃん、うーん、今日もいい天気だねー」
ベッドから跳ね起き窓を開け放ったメルは、掛けられた声に振り返った。

外は快晴、絶好の仕事日和。
沢山の人達の手紙を届ける彼女の仕事に"雨天中止"の言葉は無いが、晴れるに越したことは無い。
「毎日お仕事、おつかれさまです」
「うん、ボクはこのお仕事好きだからね。でももう少ししたらボクは夏休みなんだよ!」
「そうなんですか?」
「うん、大体一ヶ月くらいかなー? どこかおでかけしよっか?」
「わー、楽しみですー」
「えっへへー、じゃあまずは今日も一日がんばりますかっ」
手早くいつもの服に着替えて、部屋の扉脇に立ててあるスタンドからネズミを模した帽子を取る。
そして扉を開けて、

自力ではこの部屋から出られない同居人を、振り返る。

「行ってきます、フロウちゃん。早く帰れるようにがんばるよー」
「行ってらっしゃい、メルさん。車に気をつけてくださいねー」

部屋の外、扉を閉めて大分"住み慣れてきた"家の中を小走りに駆け抜ける。
いつも過ごす二階の"二人の部屋"と違って、急に静かで暗くなったような印象を受けながら、メルは一階に降りて大きな玄関へ。
玄関に立てかけてあったキックスケーターを持ち上げて外に出ると、そこから見える二人の部屋を見上げるために振り返る。
「フロウちゃん、大丈夫かなあ…」
それはいつもの独り言。
ここから部屋は見えても、その中に居るフロウフロウの姿までは見えない。

この大きな家はフロウフロウの家。
メルが来るまで彼女一人が暮らしていた、静かに佇む古い家。

…ずっとずっと昔には、フロウフロウを"造った"誰かも暮らしていたのだけれど。
それはもう本当に、遠い昔のお話。

「……頑張って早く仕事を終わらせなくっちゃ」

仕事は好きだった。
けれどフロウフロウを一人にしておくことが、たまらなく嫌だった。
それだけではないのだけれど、それにメルはまだ気づいていない。

意を決して前を向き、整備されていないでこぼこ道を蹴る。
整備されていないことなど感じさせないほど滑らかに、メルはキックスケーターを走らせる。
大きな家は見る見る内に、後ろで遠く小さく離れていった。

「メルさん、行ってしまいました」
誰も聞く者の無い独り言。
メルがここで暮らし始めてから、朝彼女が出かける度にフロウフロウはそう呟くようになっていた。

彼女を"造った"人がいなくなってから彼女は何年も何十年もただ独り、この家で佇んでいた。
自分に宛がわれた部屋から一歩も出ることは出来ず、そもそも自分が"今いる場所"からほとんど動けずに、ぼんやりと空を眺めながら時々唄を歌って日々をすごし。

そんなある日、彼女の前に「神」と名乗るものが降りてきた。
フロウフロウの"ウタゴエ"を、そのまま埋もれさせておくには惜しいと言う彼は"ポップンパーティ"というものに彼女を誘ったのだ。
フロウフロウにはそれがどんなものかわからなかったけれど、

長い間独りでそれに慣れたつもりでいた彼女は、その見た目相応に人との繋がりを無意識に求める幼い子供でもあった。

だから望んで、頷いた。
そしてそこで、メルと出会うことになる。
自分を案内してくれる人達はいたけれど少し大人な人達の方が多く、緊張で固まりかけた頃にメルが話しかけてきたのだった。
誰に対しても屈託無く笑うメルの明るい態度に、フロウフロウの態度も次第に軟化していった。
メルもその姿から自分と近い年頃だと思ったのだろう、一通り挨拶を終えた後にはフロウフロウの元に再びやってきてその後を過ごした。

『フロウちゃんは、これからどうするの?』
それはパーティの終焉間近にメルが問いかけてきた言葉。
しかし自力で動くことの出来ないフロウフロウにとって、その答えは決まっていた。
『家に帰ります』
『お家? 誰かと暮らしてるの?』
『いいえ、一人ですよー』
『えっ!? そうなの!? …あ、うんまあボクも一人で暮らしてるみたいなものなんだけど、ねずっちいるし一人とはちょっと違うかな…』
『うーんうーん、ねえフロウちゃん?』
『はいー、なんですか?』
『あのさ、ボク、フロウちゃんの家に行って見たい』
『………え??』
『や、やっぱり駄目かな?』
『あ…いえ、えっとそんなことは無いです。ただちょっと驚いてしまうかもしれませんー』
『えー、なんでだろ? うーん…やっぱり行って見たいかも』

断る理由なんてその時は思いつかなかった。
それに本音が心の奥で囁いていた。

『本当は、独りになるのが怖いんです』

けれどそうは言えなかった。
言ってしまえばそれが束縛となって、メルが家に帰る時に気にしてしまいはしないだろうかと。
本当はその"別れ"を恐れるからこそ、メルを招いてはいけなかったかもしれないのに。
フロウフロウはその可能性を漠然と考えていながらも、言い訳として言葉にするタイミングを見失ってしまっていた。

そしてメルに連れられ道を案内し、案の定その家の大きさとそこに何年も独り暮らしているという事実に驚かれ。
それからもう3ヶ月以上は経っただろうか、メルは今もここにいてフロウフロウと共に暮らしていた。

『ボクはどこに居たって大丈夫なお仕事してるから』

そう言って笑って、戸惑うフロウフロウを説得したのだった。


膝を抱えてくるくるとその場で回りながら、フロウフロウは思いを巡らせる。

メルはいつも笑っている。
朝出かける時も笑って出て行くし、帰ってきてからは仕事の話も笑いながら聞かせてくれる。
そんなメルを見るのがフロウフロウは大好きだったし、だからこそ彼女が仕事に出かけていく時少し寂しくてもその後があるからと思っていた。
そんな気持ちが、少しずつ変化と成長をしていったのはいつからだっただろう。

後何時間後にメルは帰ってくるだろう。
"早く帰ってきてほしい"、初めの内は、ただ期待としてそう願っていた。
しかしその願いは少しずつ形を変え…別の願いを重ねだした。

それは全く正反対の願い。
即ち"帰ってきてほしくない"と。

本心でないとは理解していたけれど、恐怖心からその願いが生まれて以来、彼女が独りでいる時にその願いが思い起こされないことは無かった。

「わたしは、どうしてしまったんでしょうか?」

その問いに答えるものは無い。
目を閉じて情報の海に身を投じ、自分の想いを見つめてみる日々が続く。
いつからかメルはフロウフロウの中で友達としてだけの枠を越えてしまっていたのだ。
初めはその感情の意味がわからなかった。けれどそれがどういうことであるか永い長い年月の間に知識として知ってしまっていた。

フロウフロウは幼い少女の姿をしていたが、その知識量は見た目から推測できる年齢に不相応であると言えるほど膨大なものになっている。
彼女は子供であり、大人だった。

いつからか芽生えたその感情、それを抱くとどうなるか。
初めはきっと違うと思っていた、だから知っていることを照らし合わせていった。
初めは大した願望も無かった、けれど少しずつそれは膨らんでいった。
初めの内は存在した相違も、今は多くが当てはまる。
フロウフロウは戸惑い、独りの時は自分を否定するようにさえなってしまっていた。

そうでもしなければ、メルに笑いかけられなかった。
どんなにその感情を抱いていても彼女には越えられない壁がある、それを理解しているから。

「たっだいまあー!」
「え…? あれ…」

情報の海から身を引き上げる間もなく、扉が開く。
「今日はお仕事速く終わったよー! …っと、フロウちゃんお休み中かぁ」
トーンの落ちた声に慌ててフロウフロウは目を覚ました。
「あ、えと…お帰りなさい、メルさん」
「あれ、ごめんね起こしちゃった?」
「平気ですー、早かったですねー」
フロウフロウは壁に掛けられた時計を見上げた。
夕方になるかならないか程度の時刻、そんな時間まで全く時の経過を意識していなかったフロウフロウの思考はまだ上手く働かなかった。
当然かもしれない、今まではメルへの想いを意識して考えを巡らせていても、適度に打ち切り彼女を迎える心構えをしていたのだから。
思考の最中に帰ってきてしまったメルに返事こそ普通に返せたが、
「あ…と」
直後、自分が考えていたことが急速に蘇り、羞恥心と罪悪感で胸の内が塗り潰された。
「フロウちゃん? どしたの、どっか具合悪い?」
「あ、い、いえなんでもないですっ」
「そ、そう…? ならいいんだけど。じゃあボクちょっと簡単にご飯の用意だけしてきちゃうね」
「はいー」
扉の向こうでぱたぱたと言う足音が聞こえなくなってから、フロウフロウはため息をついた。
「わたし、どうしたらいいのかわかりません…」
肉体を持たない自分の顔が紅潮することがあるのかどうか、彼女は知らない。
たださっきは肉体を持つ人間ならまず間違いなく"赤くなっている"場面だろう。
そうなってしまったら、不審に思われてしまうのは間違いない。
「でもやっぱり、わたし」
唯一つ、ギリギリまで認めていなかったことがあった。
けれどそれも、もうどうしようもない。
不意打ちだったとはいえ、あんなに動揺する理由なんて無いのだ。

「メルさんの事が、スキ、なんですね」

目の前で、自分の手を握って開く。
そこに自分は握った手の感触を感じられる。
けれどこの体は誰にも触れることが出来ず、誰からも触れられることが出来ない。
直接的には、メルと握手をすることすら出来ない。
どんなに相手のことを好きでも、それでは伝えたいものも伝えられない。
メルとは余りにも違う自分が、恨めしく思えた。
「……」

けれど唯一つ。
フロウフロウはメルに"触れる"方法を知っていた。
それは直接的なものではないけれど、メルの体に触れた事を感じることが出来る方法があるにはあるのだ。
「わたしは、このままでいいんです」
それを知りながら彼女はその方法を否定する。

どんなにその方法があったとしても、それは本当に触れるだけしかできない方法なのだから、と。

「ねえ、フロウちゃん。やっぱりどっか具合悪い?」
いつの間に部屋に戻ったのか、心配そうなメルの声がした。
「え…あ」
メルにフロウフロウの姿がどう映っているのかは解らない。
が、最後の想いへの壁を崩したばかりのフロウフロウには余り余裕が無かった。
「なんでも、ないですよ?」
「うーん…ならいい。明日もお仕事少ないみたいだから、今日は早めに寝るねー」
「明日も早く帰ってこられるんですか?」
「夏休みだからかなあ。お手紙書くより会いに行く人が多いから、お手紙の数は少ないんだって」
「そうなんですかぁ」
「うん、だから明日も今日みたいに早く仕事終わらせちゃうからね!」
「はい。待ってますー」


そうして眠りに着いたメルの横で、フロウフロウは小さくため息をついた。
明日になったらまた普通に戻らないといけないと言い聞かせる。

目の前で眠る少女は、自分と同じ性別。
年齢は見た目だけならメルのほうが少し上、お姉さんだろう。
実際の年齢…といえるかはわからないが、長く長く在り続けた存在としては自分の方が上。
そして彼女は人で、自分は人ではなく…投影されるだけの虚ろな存在、言うなれば機械だ。
そんな自分がメルを好きになったところで、どうしろというのだろうか。
好きになることに理由は要らなくても、それを伝えていいかどうかの判断は必要なんだとフロウフロウは自分を戒めた。

それでも、願望はすぐには消えない。
触れたいと思う、手を握ったり、抱き締めあったりしたいと思う。
隣で眠ったりもしてみたいし、じゃれあったりもしてみたい。
…そんな"友人"の範疇で許される行為だけではなく、それ以上の願いを抱いていることももう否定はしていない。
けど、そこまで。
可能か否かではなくて、してもいいか、いけないかということだけを考えて、フロウフロウは固く目を閉じた。

しかし自ら認めてしまったからだろうか。
可能性は甘く甘く、フロウフロウの思考に染み入ろうとしている。
「どうして、わたしは体が無いのに」
目まい、というものだろうか、意識が遠くなるような感覚を覚えてフロウフロウは揺らめいた。
彼女はこの部屋を隅から隅まで飛ぶことも出来ない。
それでも、すぐ後ろにある壁に手をあてることは出来た。
その壁の向こうに、ほんの少しだけ意識を集中する。
視線が自然と、足元の機械…投影機に落ちた。

そこにあるものが知覚できる。
それが触れているものの感触が、フロウフロウの手にも感じられる。
それはこの壁の向こうだけではなく、確かめたことは無いけれどもしかしたらこの家中にあるものかも知れず。
そんな遠くのものを動かそうとしなくても、自分を投影するこの機械にもそれがある事を知っていて。

家のどこかにある大きな機械。
時折それと"繋がらなければならない"自分。
だからそれは自分にとって体の一部…人で言う"血管"のようなものなのかもしれない、と思った。
だからこそ、それが触れたものが…自分にもわかるのだろうかと。

「う…ん」
「……!」

ベッドの中のメルがくぐもった声を上げる。
それはただの寝返りと、それに伴って漏れた吐息。
わかってはいるのに、フロウフロウは自分自身の考えを見られていたような気がして慌てて振り返った。
当然メルは安らかな眠りの中。
わかってはいたけれど、安堵のため息がこぼれる。

「手をつなぐ…ぜんぜんそんな風に見えないです」

"それ"を使って見た光景を想像して、フロウフロウはもう一度ため息をこぼした。

「やっぱり、わたしはこのままでいなきゃいけないんです…」

自らの想いに蓋を閉めるべく、意識する。
けれど…一度開いた重い蓋は、閉ざそうとするのに酷い力が必要であることを知る。
少しずつ少しずつでも閉じなければと思う間に、想いはどんどん溢れていってしまう。

そう理解できて、フロウフロウはそれを怖いと思った。

"ほんの少しだけなら"

眠っている間に、ほんの少し触れるだけなら。
気づかれないように、ただそっと。
……それくらいならば、許されないだろうか。

「……だめ、です」

想いはフロウフロウに問いかけてくる。
それを目を閉じ耳を塞いで聞くまいとする。
けれど心の内に囁かれる言葉は、そんなことで遮断されはしない。
うっすらと開いた視線の先。背を向けたメルの静かな寝息。
耳を閉ざしていた右手が離れ、その背に向けて伸ばされていく。

『明日も今日みたいに早く仕事終わらせちゃうからね!』

メルの笑った表情と、優しい言葉が脳裏に蘇る。
「……はい、待って、ます」
つ、と指が横に動いた。

「――だ」
ダメ、と思うより早く。
「……っ」
その指先に、温かく柔らかい"何か"の質感を感じ取り、フロウは息を飲んだ。
ぐるぐると回りそうな意識を必死にこらえ、慌てて手を引く。
指先に感じられた感触は直ぐに消えたが、その柔らかさと温もりの感覚は暫くフロウフロウの意識を侵した。

「…は、はあ…」
右手を左手で掴み胸に抱く。
胸が苦しく、呼吸がしづらかった。
人ではないくせに、どこまで人に似せられているのだろう。
そんな考えに意識を逸らし、平静を取り戻そうとする。
「うっく…」
目から零れるものはない。
こんなところは人に似せられていない。
いっそ"泣けたら"少しは楽になれるかもしれないのに。
「ごめんなさい…メルさん」
僅かでも触れてしまった、自分を抑えられなかったことをフロウフロウは責めた。

それでも、指に残る感覚は余りにも温かく。
それを忘れたくはないという感情も消すことはできず。
静かな夜の更け行く中、喜びと罪悪感が渦巻く心を抱えたまま、フロウフロウは無理矢理"眠り"についた…。


溢れた想いは、既に染み込み始めてしまっていた。
フロウフロウはそれを元に戻す術を知らず、戻そうと考えている内に溢れる方を忘れていた。

その日から、
フロウフロウはメルに"触れよう"とする自分を、完全には抑えられなくなった。
気づかれぬように、静かに。
ほんの少しだけ触れて…その温かさを抱いて眠り、

「じゃあ、行ってきまーす!」
「いってらっしゃい、メルさん」

朝、彼女を見送った後に自分を責める日々が続いた…。

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